ただあるがままに
完全に満ち足りた
完全に自由な現実=覚醒とは
「わたし」の喪失にほかならない。
「わたし」という意識が
この肉体に宿っていて
「わたし」は確かに
ここに存在しているのだと
人はごく自然にそうとらえている。
だけれど
自分を認識している
その自己意識「わたし」こそが
分離と二元の幻想の
そもそもの始まりである。
「わたし」という個人は
もともとどこにもいない。
分離と二元の幻想の発端である
「わたし」が在るかぎり
満たされることのない
果てなき探求が延々と続いて
分離のもたらす苦しみから
逃れることはできない。
主人公の「わたし」そのものが
消え去ることによってのみ
二元の夢の物語にようやく幕が降ろされ
代わりに
すでにここに在りながらも
ずっと覆い隠されていた
真に満ち足りている真に自由な現実
分離のないあるがままの世界(=非二元)
が現れる。
一般的には
肉体が存続したまま起こり
自己意識が消失して
幻想の"私"が消え去ることを
覚醒と呼んでいる。
「原因と結果」という因果関係は幻想であり
本来覚醒するための方法や
プロセスというものはない。
しかしながら一方で
因果関係によって成り立っている
この二元の世界では
見かけ上は、目的地へ向かうための
道しるべが存在していて
完全に満ち足りた、完全に自由な現実
=覚醒へと至るための手掛かりを
先人の描いた十枚の禅画の中に
見い出すことができる。
覚醒の鍵=「牛」。
「牛」、すなわち自己の本質
ハイヤーセルフとつながり
人生の創造者としての内的パワーを
「わたし」が自分のものとして
所有する段階を経て初めて
「わたし」が消え去る準備が整い
覚醒への可能性が開かれる
と十牛図の十枚の絵図から
読み取ることができる。
以上、とある方の文を
転記させていただきました♡
目の前に起きている現実は全て
人の心が生み出した幻想。
あなたの意識が現実を生み出す。
何かで満たそうと
何かを手に入れようと
何かで補おうと
躍起になるのではなく
安心して流れに身を任せ
心の中での戦いを終わりにしよう。
その戦いが終わったら
世界はきっと平和になるのだから。
見えるものしか信じない人たちと
スピリチュアルにどっぷりな人たち
そうしていきながら
なにごとにもとらわれることなく
ゆるみすぎず
気張りすぎず
好奇心と自然感覚を指標に
流れるように生きれるよーになろう。
ただただあるがままに。
パッカーン
こちょばいぜー
0コメント